僕の脳裏と電子日記

文章にしたくなった事を残す場として此処を設けました。

flyby

二十三時五十五分 深夜高速
距離が遠くなる 遠くなる
映画みたいだった 2月が終わる
ハサミで切られた フィル厶みたいに
あの日思い描いたはずの 3月が始まる
何も信じられないよ 信じられないよ

 

先輩の言葉 思い出した
「永遠に縋るのは子供だけだ」
このままずっと このままずっと
終わらなければ良いと思ってた
僕は大人にならなきゃいけないのか

 

19時間と激情 鳴り止まないノイズミュージック
デスソース ロボトミー 吐息 鳴いた蛍と濡れた傘
水飴みたいな群青が 街にこびりついていた
それを舐めて甘えていた 幻想に縋っていた
心を預け合った事が 幸せだったんじゃない
そこから過ごした時間と そこから見える風景
ノンタイトルは消えた ファインダー越しの世界も
消えた 消えた 消えた

 

近づいては離れてく 探査衛星のように
近づいては離れてく 街灯のように
永遠なんてない もう何も怖くない
だけどまだ終わらせたくはない

 

あの日思い描いたはずの 3月を始めよう
ただ笑い合いながら 電車に揺られよう
あの周回軌道上を 流れる星を
一晩でいいから眺めようよ
永遠なんてない もう何も怖くない
僕は辛うじて一人でも立てる
笑い合ってたい 笑い会ってたい
それしかもう望まない

 

二十四時少し過ぎ 深夜高速
エンドロールが 聞こえてくる
映画じゃなかった これは現実だ
僕は大人になりきれなかった

期末考査、黒い夕日

水曜5限のテストは地質学だった。
教室は北部校舎の理6の306号室。京大の中で唯一僕が、一般試験より前に入ったことのある教室だ。つまりこの教室は高校生である僕にとって、大げさな言い方をすれば、京大の全てだった。

テストは持ち込み可能だったレジュメのおかげで順調だった。暇ができた僕はカンニングを疑われない程度に、この慣れた教室を見渡してみた。
前には広い黒板が4枚。youtubeの動画で雪江教授が使っていたものだ。さらに数学オリンピック研修で使ったプロジェクターと、理学部特色入試でもお世話になった大きい時計。この教室は3年前と何も変わっていなかった。


しかしたった一つだけ、僕にとって馴染みのない、見慣れない物体があった。
部屋の右端にある、淡い色をした掃除用具入れくらいの大きな箱。箱の端には銀色の装飾があるが、表面はベタ塗りの一色。ドアノブらしき物も無いのっぺりとした箱。僕はその「新入り」を早く間近で見たいと思った。

テストが終わって、身支度より前にその箱に近づいた。この無機質で、不自然で、こちらを見下ろすように尊大な箱を隅から隅までじっくりと注視した。すると、箱の端近くに一つのシールを見つけた。そこには「映像機器」の文字があった。
僕はその瞬間理解した。こいつは「新入り」じゃねぇ。


哲学者のジョージ・バークリーは「存在することは知覚されることである」(羅: Esse est percipi)と述べた。我々は知覚出来るもののみからしか存在を確認出来ず、それすなわち、知覚出来ることが我々にとってそれがそのように存在していることと等しいと言う事だ。だがその「知覚」は、脆く弱いものであると僕は思っている。
我々は、特に視覚に関しては、真に知覚しようとしたものしか知覚出来ない。そして、知覚しようとしたようにしか知覚出来ない。
好意を持った人間の顔は整って見える。整っている。憎たらしい景色は歪んで見える。歪んでいる。3年間も意識が及ばなかった謎の箱は、それが視界の中心に来ない限りずっと見えない。そこに箱はない。それほどに人間の知覚は弱い。
子供の頃に一度だけ、太陽を眺め続けたことがある。学校で「太陽を直視してはいけない」と教えられ、その日の帰り道、意地になって20分ほど沈みゆく夕日を注視し続けた。(今思えば、これが僕の視力を悪くした一因かもしれない。)
光線が僕の幼い視神経を焼いた。初めは真っ白だった太陽は、だんだんと黒ずんで見えた。20分後、僕の目には真っ黒な夕日が見えた。僕の目の前には真っ黒な夕日があった。

存在することは知覚されることである。我々は繊細で壊れやすいタンパク質を用い、自らの意識を投じなければ、そこにそれがあることを確認出来ない。我々の脆弱な生物学的現象によってこの世界は存在しているのだ。


いつの間にか5分が過ぎていた。僕の座っていた席にはまだ筆記用具が転がっていた。試験監督は映像機器を見つめ続ける奇怪な僕を薄ら笑いで眺めていた。

楠の葉の燃える頃

僕は元来、クスノキという木と共に暮らしてきた。



僕が生まれ育ち今も暮らしている門真市という市はクスノキが市の木として指定されており、「薫蓋樟」という大クスノキは市のシンボルである。最寄り駅である萱島駅には駅構内を貫くほど大きなクスノキがあり、僕が何かに会いに行く度にその壮大な姿を見せてくれる。僕の母校である四條畷高校がある四條畷市クスノキが市の木であり、近くの四條畷神社では「楠公さん」である楠木正行が祀られている。そして、今通っている京都大学もそのシンボルは正門奥の大クスノキである。
僕がクスノキのある場所を選んでいるのではない。ただクスノキが僕のそばにずっと居てくれていただけだ。

ついこの前、僕は京大の大クスノキに触れてみた。
普段は視界の隅に溶け込んでほとんど存在を意識しないこの木が急に気になって、僕はその周りにある円上のベンチを乗り越え、中心にあるクスノキへ向かっていった。
近づくたびにその木は大きくなって行った。自分の予想を遥かに超えるスピードで遠近法が適用されて行った。
中心にたどり着いた時、その木は視界に収まりきらないほど大きくなっていた。
手の届く所にはその幹の根本の根本しかない。手を回しても右手と左手は触れ合わない。そもそも、深く張った根の地上近くの部分に両足を置かないと、幹に触れることすら出来ない。それくらい大きく、太く、存在感のある木だった。
僕は、その大木が毎日見守ってくれているという事と、その存在感さえも日常に溶けていて此処まで近づかないと気づかないという事を実感した。
そして更に、自分は楠の葉の形を知らないという事にも気づいた。

僕は上を見上げた。その時の感情は、19年間を共にしてきた対象を見る時のものとしてはあまりに新鮮だった。少し傾いた日を影に落とす濃い緑の葉。その色も形も全く知らなかった。関心を持っていなかった。

 

無関心とは本当に怖いものだ。
関心を得ないという事は、どんなにその人の事を想っていたとしても自分の働きかけが何も届かないという事だ。僕はそれが怖くて、 想う人に何も届かないのが辛くて、 こんなに辛い想いを他人にさせる訳にはいかないと思い、とにかくどんな人にもどんな物にも興味と関心を持ち、好きになる努力をしようと頑張って来た。
しかし、僕は一番身近なクスノキの葉の事にすら、全く無関心だったのだ。
愚かさで全身が焼き切れそうな感覚だった。そして、そんな僕を憎む事も見捨てる事も無くただ風に揺れているクスノキがより一層愛おしくなった。

僕はクスノキのようになりたいと思った。
自分の考えを言葉や文字や写真で上手く表現する事や、人に振り向いてもらうために何かをする事は心の底から楽しくて、幸せで、夢を持たせてくれる。でもそれは同時に、心を誰かに削り売るようなものだとも思っている。初めは「表現する事が楽しい」と感じていたはずなのに、いつしか「表現し切れない事が悔しい」と感じるようになり、頭の中にあるぐにゃぐにゃとした、歪んでいるのかどうかの判断すら出来ないような無色不透明な何かが蠢いたまま腐っていく。
毎日誰かに何かを伝え、何かを話し、誰かを何かに誘い、誰かに分かってもらう事に尽くし、何も得ず、ただ疲れている。それは幸せでも、短命なものだなと感じている。
早めにくたばっちまう。弱い僕はこんな、心揺れ続ける「感動過多」の生活に長くは耐えられない。
心を潰されてしまう前に、何も伝わらなくても、誰からも気にされなくても何者もただ愛し包める大きさのある、クスノキのような人間になりたいと思った。

しかしまだ今はそれになれる力もないし、それになる時期でもない。ただ今は誰にも見られず燃えれば灰になって消えてしまうような楠の葉を目に焼き付けながら、「クスノキ」と名のつくカフェでエスプレッソを啜るだけだ。







この文書はじおねこさんのアドベントカレンダー怪文書の部分集合」(https://adventar.org/calendars/3993)用に著しました。
次の担当はぴぴさんです。よろしくお願いします。

悠久の郷里

エスプレッソと花群青

楠と僕と架空世界

15分を払って5時間を溶かす

日の落ちた時計台を見上げる

 

こうして僕は一日を捨てる

見返り憂鬱な日々を生み出す

 

顔も知らない人を愛して

名前も知らない人を縛って

頭の中の箱庭を

現実の匙で掻き回す

 

 

顔も知らない人を造って

名前も知らない人を想って

紛い物の夜を睨みつけて

幸せという名の李を齧った

 

 

タイトル:

悠里・大宇宙合同誌 Falira.lyjotafis(S.Y)の編集後記より引用

挫折

お久しぶりです。KleinscheVierergruppeです。

かなり更新が遅いですが、もともと書きたくなったときに書くブログですので今後も不定期更新を続けては行こうと思います。目についた頃に読んでいただけると嬉しいです。

 

さて、今こう語ったことから分かるように、タイトルの「挫折」はこのブログに挫折したと言うわけではありません。ただ、この1ヶ月間、このブログで書こうしていた記事に関して挫折してしまったというだけです。

この記事では、僕が何故挫折してしまったかということについて綴りたいと思います。

 

僕がその記事を書き始めたのは5月7日、ちょうど、大手前高校の軽音楽部72期が引退ライブを行った次の日でした。

タイトルは "moratorium" 。僕は出身校でもない学校の後輩たちにぐちゃぐちゃに心を掻き回されて、衝動的にその記事を書き始めました。

前日受けた深い感動は5月という時期と共鳴して、僕の中の青い思い出を次々と引き出していきました。各々の畷高祭、軽音楽部のライブ、写真部の撮影会、友人とたくさん遊びに行ったこと。事象はいつまでたっても溢れ続けました。

ただ、文字を打つ手はなかなか進みませんでした。

何をどう書けばいいんだ。どう書いても拙く感じてしまう。あれはそんなもんじゃなかった。どう語っても語りきれない。

理性と逆行して飛び出し続ける思い出は僕の手を止め続けました。悩んでも悩んでも、言葉は出ないままでした。

 

そうして苦しみ続けて1ヶ月、何も書けないままいた僕ですが、細かいメッセージを込めることから離れ、一つメタ的な答えを得られました。そして今こうして「挫折」とタイトルを変え、文章を書き直しています。


f:id:kleinschvierergruppe:20190604185756j:image

この写真は去年の畷高祭で、リハーサルのときに僕のクラスの劇の主人公を撮影したものです。

スポットライトに照らされたシルエットと、口元に吐息のようにかかるフレアが独特の雰囲気を醸し出しています。

しかし、評論的なことを言えばこの写真はとても良い写真とは言えません。

人物の位置がスポットライトと比べてずれていることなどはまだ辛うじて味になるのですが、背後で緑色に輝く非常灯はさすがに目についてしまいます。僕自身まだまだアマチュアで、さらにそこに僕も劇の出演者であったという緊張と、タイミングを逃すまいという焦りが重なって背後への配慮が欠けており、このような写真になってしまいました。

 

しかし、僕はこの写真を今まで撮ってきた写真の中で5本の指に入る程気にいっています。

そしてそれが何故かと聞かれると、先月と同じ苦しみに嵌ってしまうのです。

 

文字や文章、ひいては言葉というものは、青春を語るにはあまりにも客観的過ぎる物でした。

 

青春という物は、終わってくれるなと思えば永遠に続いてしまうような自分勝手な存在です。僕の青春は少なくともthe paddlesが無くなってしまうまでは終わらせないし、そう思えば続いてしまうものなのです。

逃避とも言えるこの答えを導き、僕は満足感と共に、言葉にならない青さを浅く綴っているのでした。

 

https://youtu.be/wN9Fl2DxRDo

 

 

"moratorium"

https://youtu.be/dVVpJYSui2Q

output

お久しぶりです。KleinscheVierergruppeです。更新が遅くなり申し訳ございません。理由としては、今から書く内容に関して多少の時間的制約があって(所謂ネタバレ防止って奴です)、その制約が無くなったのでようやく筆を進められるという状況であるということと、ただ単純にこの文章を捻り出すのに時間がかかったということがあります。どうかご理解下さい。

 

さて、4月29日、僕の敬愛するアーティスト「Eve」のツアー、「おとぎ」の東京でのファイナル公演が終わりました。本人曰く「最高でした!」との事でした。

僕はこのツアーの大阪公演に行き、深い感動を受けました。その片鱗は僕の一枚目の記事、「投影」でも記したのですが、今日はもう少し深い事を書こうかなと思っています。

 

 

 

 

3月25日、僕はグッズ購入の為に開演の5時間前からなんばへ向かっていた。

高まる期待感。あの時の、声だけは知っていてそれ以外の表面的性質を何も知らないような、得体の知れない大好きな何かに向かっていくワクワクは今でも忘れられない。

ライブを観覧するまで僕にとっての彼は「遠くのスーパースター」だった。彼が顔出しをしてないということだけなのに、僕は上手い親近感を抱けないでいた。音楽性も声も愛おしいのに、結局どこか遠くで歌っているような、「無限」の疎遠感を感じていた。だからこそ、僕と彼の生の身体が高々有限の距離で対峙することができるこのライブは、顔を知っているアーティストのライブに行くより何十倍も期待感が大きかった。それを胸に会場に入り、本人の登場を待った。

 

当アルバムのイントロ曲「slumber」が流れ出し、駆け巡るような映像の後、白い薄膜の裏に影のように立つ彼の姿が見えた。朧ながらその風貌は彼のイメージイラストそっくりだった。前に出て来た彼はふわっとした髪にすらっとした体つきで、ゆるい服装を纏っていた。僕は「本物」が目の前にいる感触を肌で感じ、右手が自然と上がった。昂揚のサインだ。

 

彼のライブで一番印象深かったのは小休憩後に流れた映像だ。

ライブも半分が過ぎ、ステージは一度暗転した。同時に薄膜がステージに張られ、彼は舞台から捌け、映像が流れる準備がなされた。

その後流された映像は、言葉では表すことが難しいほど衝撃的だった。

何か混沌とした中に激しい流れがあり、適度なコントラストを持った不定形のオブジェクトがゆらゆら、ゆらゆらとしている。

あえて言うとすれば、人の脳内の様相を見ているようだった。(この感覚は後付けな気がするが。)

そこからしばらくすると、橙髪の少年の姿が映し出された。彼の楽曲「僕らまだアンダーグラウンド」のミュージックビデオに登場する少年だ。その少年はしばらく彷徨った後、Eve氏がオープニングで登場した場所に立った。その瞬間、少年の背後に細長いすらっとした「影」が伸び、点滅し、次の瞬間には「彼」が立っていた。

 

僕はその時、何かを激しくぶつけられたような感覚になった。重い衝撃と共にとても大きなものを得たような気分になった。

映像は彼の思考の投影だ。彼の楽曲は彼の記憶の投影だ。橙髪の少年は(もとい彼の楽曲のミュージックビデオに出てくる主人公は皆)過去の彼の投影だ。そのような正しいかも分からないことが、「解釈」という拡張子を纏って流れ込んで来た。彼が登場したその一瞬で、彼の二十数年の人生の全てが僕の中に躊躇なく飛び込んてきた。そして、そんなメッセージを口も文字も使うことなくぶつけてきた彼を、より好きになった。

その一瞬の後に彼が歌った「ナンセンス文学」を僕は半狂状態で聴いていた。後ろに映る映像はいつものミュージックビデオのはずなのに、僕にはより激しく、鮮烈に見えた。この作品が、目の前に居る柔らかそうな雰囲気の人間から吐き出されたものだと言うことをいつもよりもっと深く畏れ、感動した。

このライブで僕は自分を投影し、表出することの壮大さや偉大さを深く感じた。僕も誰かに衝撃を与えられるような、爆発的な表現活動をしたやりたいと思った。

 

 

 

僕らまだアンダーグラウンド

https://youtu.be/nBteO-bU78Y

ナンセンス文学

https://youtu.be/OskXF3s0UT8

 

蝉時雨

音楽には特有の季節感を持つものが多く存在する。例えば槇原敬之の曲は基本的に冬の曲であるし、TUBEのシーズン・イン・ザ・サンは代表的な「夏曲」として挙げられる。人はそれぞれの季節にそれぞれの曲を聴いて独特の「季節感」を感受する。それは音楽を楽しむ一つの方法だと思う。

ただ、僕は普段、もう一つ別の嗜み方をしている。

僕は今この文章を書きながらストレイテナーの「シーグラス」を聴いている

 

(今年最後の海へ向かう 夕焼けが白いシャツを染める 二つの長い影を残して 夏が終わりを急いでる)

 

この曲は歌詞を見ての通り、夏の終わりから秋にかけての歌である。ただこの文章を書いている今は4/22(月)、桜が散り夏に向かって空気が熱され始める時期だ。季節的に真逆とも言える曲を何故今聴くのか。

 

その問に対しては「曲がその季節を想起させてくれるから」という答えが相応しいだろう。寒い冬でも気怠い春でも僕は、シーグラスを聴けば懐かしい過去の、また迫りくる未来の夏を想起して気持ちがワクワクする。

人間の脳は時間をかけると過去の記憶を理想化、美化する傾向があるらしい。きっとシーグラスを聴いて思い出す夏は現実にはそぐわない、美し過ぎる夏であると思う。だがそれが現実にそぐわなくても、現実より美しいものを享受できる事はそれだけで幸せであるとも僕は思う。その幸せを感じるために僕は「季節外れの曲」を聴くのだ。

 

 

「蝉時雨」という言葉と、その名を冠する曲がいくつかある。この言葉は季節においての撞着語法(oxymoron)が使われている。つまり夏の言葉である「蝉」と冬の言葉である「時雨」を併せ持つ「小さな巨人」的語法が使われているのだ。

この名を冠する曲として僕が知っているのはココロオークションのものだ。

 

(誰もがみんな 空を飛びたいと 思ったこと 一度はあるだろう そんな事ふと思い出して 時間は止まって 気付けば雨、雨)

 

上では紹介していないが、この曲には「夏が終わってしまう前に」という歌詞があり、夏の曲である。実際、夏以外の季節にこの曲を聴けばメロディーラインによって、消魂しかったはずの蝉の叫びが柔らかに浮かんで来て綺麗な夏を感じられる。が、この曲を夏に聴くとまた違ったものを感じ取ることが出来るのだ。

蝉の鳴き声は浮かんで来ない。もう既に現実は蝉の鳴き声を初めとした様々な夏で飽和しているから、夏を想起させる力は霞んでしまう。大抵の夏曲はそこで終わってしまう。夏に聴くと感じ取られる幸せが少なくなってしまう。しかし、「蝉時雨」はまだ終わらない。

撞着している「時雨」の部分と、上に上げたようなほとんど至るところで通年的な歌詞が今度は冬を想起させるのだ。一年中別の季節を想起させ、ないものねだりな僕たちを満たしてくれる。そんなココロオークションの「蝉時雨」が僕は大好きだ。