僕の脳裏と電子日記

文章にしたくなった事を残す場として此処を設けました。

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お久しぶりです。KleinscheVierergruppeです。更新が遅くなり申し訳ございません。理由としては、今から書く内容に関して多少の時間的制約があって(所謂ネタバレ防止って奴です)、その制約が無くなったのでようやく筆を進められるという状況であるということと、ただ単純にこの文章を捻り出すのに時間がかかったということがあります。どうかご理解下さい。

 

さて、4月29日、僕の敬愛するアーティスト「Eve」のツアー、「おとぎ」の東京でのファイナル公演が終わりました。本人曰く「最高でした!」との事でした。

僕はこのツアーの大阪公演に行き、深い感動を受けました。その片鱗は僕の一枚目の記事、「投影」でも記したのですが、今日はもう少し深い事を書こうかなと思っています。

 

 

 

 

3月25日、僕はグッズ購入の為に開演の5時間前からなんばへ向かっていた。

高まる期待感。あの時の、声だけは知っていてそれ以外の表面的性質を何も知らないような、得体の知れない大好きな何かに向かっていくワクワクは今でも忘れられない。

ライブを観覧するまで僕にとっての彼は「遠くのスーパースター」だった。彼が顔出しをしてないということだけなのに、僕は上手い親近感を抱けないでいた。音楽性も声も愛おしいのに、結局どこか遠くで歌っているような、「無限」の疎遠感を感じていた。だからこそ、僕と彼の生の身体が高々有限の距離で対峙することができるこのライブは、顔を知っているアーティストのライブに行くより何十倍も期待感が大きかった。それを胸に会場に入り、本人の登場を待った。

 

当アルバムのイントロ曲「slumber」が流れ出し、駆け巡るような映像の後、白い薄膜の裏に影のように立つ彼の姿が見えた。朧ながらその風貌は彼のイメージイラストそっくりだった。前に出て来た彼はふわっとした髪にすらっとした体つきで、ゆるい服装を纏っていた。僕は「本物」が目の前にいる感触を肌で感じ、右手が自然と上がった。昂揚のサインだ。

 

彼のライブで一番印象深かったのは小休憩後に流れた映像だ。

ライブも半分が過ぎ、ステージは一度暗転した。同時に薄膜がステージに張られ、彼は舞台から捌け、映像が流れる準備がなされた。

その後流された映像は、言葉では表すことが難しいほど衝撃的だった。

何か混沌とした中に激しい流れがあり、適度なコントラストを持った不定形のオブジェクトがゆらゆら、ゆらゆらとしている。

あえて言うとすれば、人の脳内の様相を見ているようだった。(この感覚は後付けな気がするが。)

そこからしばらくすると、橙髪の少年の姿が映し出された。彼の楽曲「僕らまだアンダーグラウンド」のミュージックビデオに登場する少年だ。その少年はしばらく彷徨った後、Eve氏がオープニングで登場した場所に立った。その瞬間、少年の背後に細長いすらっとした「影」が伸び、点滅し、次の瞬間には「彼」が立っていた。

 

僕はその時、何かを激しくぶつけられたような感覚になった。重い衝撃と共にとても大きなものを得たような気分になった。

映像は彼の思考の投影だ。彼の楽曲は彼の記憶の投影だ。橙髪の少年は(もとい彼の楽曲のミュージックビデオに出てくる主人公は皆)過去の彼の投影だ。そのような正しいかも分からないことが、「解釈」という拡張子を纏って流れ込んで来た。彼が登場したその一瞬で、彼の二十数年の人生の全てが僕の中に躊躇なく飛び込んてきた。そして、そんなメッセージを口も文字も使うことなくぶつけてきた彼を、より好きになった。

その一瞬の後に彼が歌った「ナンセンス文学」を僕は半狂状態で聴いていた。後ろに映る映像はいつものミュージックビデオのはずなのに、僕にはより激しく、鮮烈に見えた。この作品が、目の前に居る柔らかそうな雰囲気の人間から吐き出されたものだと言うことをいつもよりもっと深く畏れ、感動した。

このライブで僕は自分を投影し、表出することの壮大さや偉大さを深く感じた。僕も誰かに衝撃を与えられるような、爆発的な表現活動をしたやりたいと思った。

 

 

 

僕らまだアンダーグラウンド

https://youtu.be/nBteO-bU78Y

ナンセンス文学

https://youtu.be/OskXF3s0UT8