僕の脳裏と電子日記

文章にしたくなった事を残す場として此処を設けました。

極夜灯

気持ちの整理が昨日ようやく付いたので書きます。

 

 

 

4月5日、彼が伝説になった。それを知った4月8日の昼、友達と別れた後僕は一人図書館に駆け込んでほろほろと泣いた。

 

別れは突然やってくる。全く思いもしない処でやってくる。1月の初めにも半ばにも惜しい別れがあった。

夭逝はまるであの世からやって来た鳥が現世の人間を無差別に啄んでいるようだと思った。そいつは共に、僕の心も少しずつ啄んでいく。「いつでも会いに行ってやる」という安心感が毎度毎度消えていく。心の中の、衝撃によってすっぽ抜かれた部分は時間が立つと錆び付いて痛まなくなる。それが心の底から嫌だったのに、また一人。

その日は激しい喪失感と衝撃で何も語ることは出来なかった。まともなことは何も言えなかった。ただ平静を装って、嘘だと思うしかなかった。

 

次の日になっても喪失感はどこにも行かなかった。衝撃は和らいだがその代わりに激しい違和感と恐怖感が襲ってきた。あいつは人間を無差別に啄んでいる。僕だって標的かもしれない。そんな現実味のない恐怖感を久しぶりに感じた。

誰もが子供のときにに抱いたであろう底知れない疑問を僕は今でも思い出す。「自分は消えたらどうなるのか。この世に何が残せるのか。」と言うことを、今でもふと考えてしまう。特に誰かが居なくなってしまった時に。前回は2015年のふぇのたすの一件のときだった。答えが出るはずもないのでただひたすら忘れようと努めていた。もちろん今回も同じプロセスでその疑問を抑えつけた。ただ、あの恐怖感が蘇るのが怖くて、彼の曲は聴けないままだった。そうやって何日もやり過ごした。

 

4月16日。全曲シャッフルで音楽を聴いていると彼の作った曲、「後天症のバックビート」が流れてきた。

彼の曲は出会い頭、僕の悲しみに中指を立ててきた。

恐怖感は蘇るどころか完全に吹き飛んだ。今まで何に怯えていたのだろうか。自分が馬鹿らしく思えた。

続いて「イヴステッパー」と「(W)HERE」を聴いて、大好きな「ラインアート」も聴いて最後に「極夜灯」を聴いた。

 

(世界から 忘れられてしまうほど 深い夜を歩いては 何を思えばいいんだろう、だなんて)

 

世界から忘れられてしまう時になっても明けることのない、深い深い夜に足を踏み入れた彼は今何を思っているんだろうか。

そんな事を考えながら今僕は、ただ同じ夜を歩く遠い日を思うのだ。